top of page
作家相片玉綺 Gyokuki

日本語・有空翻譯|境界的中世,表徵的帝國


バルトはその「記号学」からさえも身を躱し、「意味と意味の空隙」への愛を表明し始める、その端緒ともなる書.......ロラン・バルト(Roland Barthes)による日本論.......これを単なる「日本文化論」と捉えてはならない.......記号論(Semiotics)的日本解釈.......西欧式「意味の充満」.......これがバルトの目指した「空」であると考えるのは正しい。」—— ロラン・バルト『表徴の帝国』より


『境界の中世 象徴の中世』/黒田日出男・東京大学出版会


目次: 序 境界の中世史 【境界と色彩象徴】 Ⅰ 「荒野」と「黒山」―中世の開発と自然―  一 開発と荒野 {中世成立期の開発/荒野の世界/荒野の開発と政治的荒野}  二 黒山と中世的堺相論の成立 {境界としての黒山/色彩象徴の変動・変換と黒山の開発/中世的堺相論の成立と焼畑}  三 逃散の場としての山野と家 {山野への逃散/家への逃散} Ⅱ 「中山」―中世の交通と境界地名  はじめに  一 歴史における境界地名  二 「小夜の中山」  三 境界地名としての「中山」 {国堺としての「中山」/荘・郷・保・村の堺の「中山」/交通と境界地名「中山」  四 現存地名の「中山」―結びにかえて― Ⅲ 堺相論絵図の境界―境界の色彩―  はじめに  一 地頭請の際の絵図か? {1 研究史/2 大山説の論拠とその批判/3 堺相論の過程と富田荘絵図}  二 堺相論を中心に絵図を読む {1 絵図読解の深化に向けて/2 何枚もの絵図が作られていた/3 茶色の線と道・神社/4 堺をめぐるさまざまな記号的表現}  むすび Ⅳ 朱色の牓示―絵図の世界―  {境界表現に沿って/牓示とおぼしき杭/現地で確かめたこと} Ⅴ 境界の色彩象徴―国郡の境―  {境界の色としての「黒」と「赤」/道は「あかき筋」/紫の郡堺から黒の郡堺へ} Ⅵ 「黒船」のシンボリズム―日本の内外―  はじめに  一 「黒船」とは  二 「黒船」・「白船」・「赤船」  三 伝統的世界観念と「黒船」  四 南蛮屏風の中の「黒船」  五 近世に持続する「黒船」  六 第二の「黒船」―むすびにかえて

【身分と境界】 Ⅶ 史料としての絵巻物と中世身分制  はじめに  一 史料としての絵巻物の特徴  二 一遍上人絵詞伝の性格と諸本  三 宿の長吏たちの画像 {1 供養と受ける三つの輪/2 三人の宿の長吏たち/3 「疥癩の類」}  四 非人身分とは―結びにかえて― Ⅷ 洛中洛外図の犬神人  はじめに  一 上杉本洛中洛外図屏風中の犬神人  二 町田本洛中洛外図屏風などの犬神人  三 「宿の長吏」と「犬神人」  四 身分標識の変化 Ⅸ 「人」・「僧侶」・「童」・「非人」  はじめに  一 可視的身分標識  二 普通唱導集の分析  三 身分呼称と身分概念  四 中世の身分体系―結びにかえて― Ⅹ 「童」と「翁」―日本中世の老人と子どもをめぐって―  一 研究の現状  二 「上ハ六十歳、下ハ十五歳」の歴史  三 「童」の姿と七歳  四 「翁」―神の姿―  五 中世における「童」と「翁」の位置 【感覚と境界】 ⅩⅠ 中世民衆の皮膚感覚と恐怖  一 起請文・温室・宿の長吏の画像  二 中世の非人身分と癩者  三 施浴と光明皇后伝説の成立  四 「毛穴」の病いと柿色の衣  結びにかえて  付論 民衆生活史研究の課題 ⅩⅡ 穢れに「触れる」  {はじめに/触穢観念の発生/「道」と「イエ」と「門」/聖なるものへ触れる


「境界」と言うと、単純な私は国境や県境等を想像してしまうが、世の中に存在する境目はそれだけでは無い。

社会的地位の境、人間と神との境、現世と異界の境、そして、残念な事に中世社会には多く存在した差別者と被差別者との境…等など。

そして本書は、絵画や古地図を「歴史史料」として読み解く意義を提唱する黒田日出男氏が、中世に於ける「境界線とその象徴表現」に挑んだ力作である。


本書は「境界と色彩象徴」「身分と境界」「感覚と境界」の三部で構成されており、更に各部は多くの小論から成り立っている。

扱う主題は全部で12章にも及ぶ為、ここでは全てを紹介し切れないが、目次を見ただけでも本書が如何に幅広い題材に言及しているか…という事がお解かり頂けるであろう。


第一部では、主に古地図や荘園図を取り上げながら「土地の境界」…例えば「黒山」や「中山」、或いは絵図上に示される「境界の色」としての色彩に着目する。

特に、第一部の最終章を飾る「黒船のシンボリズム」は中々読み応えがあった。

本章では「黒船」は単に黒い船という意味ではなく、「黒」には「自国の“境界”の外からやって来る船」と言う、所謂「色彩のシンボリズム」が見出される事に注目しているのだ。

眉唾物…と思う事なかれ、実際に国交のあった国の船を「赤船」「白船」と呼んでいた事実を突き止めながら展開する流れには、誰しも納得するに違いない。


そして、続く第二部と第三部は、主に絵画作品や文献資料を中心に人間社会に於ける「境界」を取り上げて行く。

《一遍上人聖絵》に描かれた様々な身分、《祇園祭礼図屏風》や《洛中洛外図屏風》の犬神人、《是害房絵》の温室場面から考える皮膚の恐怖感覚に依る差別等、非常に重い問題をも含んでいるので、色々と考えさせられる事が多いのではなかろうか。

取り分け興味深かったのは、第二部第十章の「童と翁」である。

「七つまでは神のうち」という言葉があるように、当時は七歳までは「人」ではなく「神との境」と見做されていた…という事を御存知の方は多いであろう。

即ち、有名な今様「遊びをせんとや生まれけむ…」は「神の子」が遊んでいる様を謳っているのであり、同時に、七歳を迎えると「人」としての義務を負う事を髣髴とさせられ、何やら現実的である。

そして、更に面白いのは「翁」という、もう一つの「神と人間の境」の存在をも浮き彫りにしている点であろう。

黒田氏は多くの神が老人の姿で表現される事に注目する事に依って、老人(因みに、61歳以上らしい)こそが最も「神に近い存在」であったと解説している。

中世では「童と翁」即ち「神でも人間でもない存在」という微妙な「境界」が実在していた事を改めて考えさせられ、その不思議な概念が何よりも画期的であった。


尚、本書は全てが論文形式ではあるものの、何れも非常に短いので意外にも読み易い。

寧ろ、余りにも話題が豊富過ぎる感があるかもしれないが、これは何よりも、中世社会に於いて如何に多くの「境界」が存在していたか…と言う事の証でもあろう。

新鮮な着眼点と緻密な分析に満たされた優れた一冊なので、中世の歴史に関心のある方には是非とも御一読戴きたいと思う。


最新文章

查看全部

Comments


Commenting has been turned off.
bottom of page